太上神社は、平安時代中期~後期の名高い陰陽師安倍晴明の末裔として代々朝廷に仕え、天文道を家学として担ってきた陰陽道宗家・土御門家の流れを汲む神社であった。しかし明治維新の近代化推進で暦を西洋歴に合わせるため明治三年、陰陽寮が廃止となり、明治五年陰陽道が迷信として禁止されましたが、昭和十七年に、晴明三十世子爵土御門凞光らの尽力により、土御門神道同門會が発足しました。昭和十九年四月、土御門神道同門會総裁土御門凞光から、同門會副會長に任ぜられた田邉虎三郎が、戦後、土御門家の邸内社を千葉市花見川区幕張町に移築。令和の時代に入り、氏子崇敬者により千葉市中央区登戸の地に移築再興され、新たに社殿が建立されました。